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愛=「目に見えないものを表現する事」

落語やパントマイムでは、そこに無いものであってもそれを観客に想像させ、見ている観客各々、その人にだけ見える景色や聞こえる声や言葉を連想させ、その場にいる人々に感動を与える事が出来ます。
扇子をたたんで右手で細く持ち、左手でお椀を持つしぐさで口元に扇子を当てて「ズルズルズルッ」とすする音を立てれば、見ている観客は『そばを食べているんだな』と想像できます。噺家が壮年の男性であっても、くねくねと柔らかい物腰で三つ指ついて「あんた、お帰り」といえば『ああ、女房が旦那の帰りを迎えているんだな』と分かる訳です。
また、何もない空中にへばりつくように両手を広げて力を入れて押しているような動きのパントマイムを見ると、観客は『狭い部屋にでも閉じ込められたか』と想像できたり、腰をかがめ腕を大きく広げてうんうん唸りながら何かを抱えて持ち上げるような動作なら『重たい岩が持ち上がらないで困っているんだ』とその光景をそれぞれ自分の頭の中のスクリーンに投影する事が出来るわけです。
実際にはそこに無いものを、見ている人の記憶の中から連想させて、その情景をあたかもそこで繰り広げられているかのように「見せて」しまう、そこが噺家やパントマイムアーティストの“芸”であり、“職人技”であるわけです。

愛という存在も無味無臭、色も形もありませんが、恋人たちは愛する人にそれを何とか伝えようと表現できる限りの言葉やアクションを使い、ときには贈り物やサプライズで形にしたりします。「愛」そのものは目には見えないので、それを表現するのはとても難しいし「これが正解」という答えもありません。でもその温かい気持ちをお相手が感じ取ってくれたら、それは「愛する気持ちが伝わった」という事なのではないでしょうか。
恋をしているヒトはだれでも 落語の達人であり、究極のアーティストなのかもしれませんね。